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り of log

とりあえず自分のブログを持っておく。

思考を手放す能力がほしい。

 

インプットした考えを、無音の無重力下で等速直線運動させるような力が欲しい。やがてまた宇宙のどこかで会いましょう😏みたいなやつ。

 

能力名、ばいばいコスモ。
何がばいばいコスモだ、私が消えたいわ。

 

 

結果として自分にも周りにも余裕が生まれるという離れ業である。
相手に自由を与えたり、何かを任せるということが信頼に繋がるはず。
だが難しいな~~~~。
救世主妄想やカープマン三角形の世界をただただ生きてきたこの私に出来るだろうか。

 

とかなんとか考えてるこれを手放す……

 

スッ……バイバイ…

 

bye-bye cosmic…

 

See you Space Cowboy… 

ニンテンドースイッチが定価で手に入らない。

クレジットカードを持っていない。

だからマイニンテンドーストアで取引ができない。

Amazonにいく。

入荷タイミングがわからない。

わかっても午後一時とか三時とかその辺。

それ仕事してる時間。

あぁもうダメだと諦めている。

諦めるの早い。

どうにか手に入れたい。

だからって4万近くも本体に出したくない。

ブレスオブザワイルド。

ブレスオブザワイルド。

ポケモン本編出ないんだろうか。

ブレスオブザワイルド。

世の中が悪いんだ。

ニンテンドースイッチが欲しい。

いつか遊べるといいなぁ。

楽しみだなぁ。

 

「鬱」の語源が「宇宙」であるのは言うまでもない。

鬱をアルファベットで書くと「UTU」。ほらNASAっぽいでしょ、とか言ってる場合か。

逆にさ、鬱が「うちゅ」とかだったらみんな優しく接してくれるんじゃないか。いや、バカにされるか。

 

名前の方からアプローチして鬱のイメージを変えていくのは失敗だ。

 

本当にどうでもいいな。本当に。

 

不幸になろうとしてる人

最近になって気付いた、俺は「不幸になろうとしてる」と。でも「不幸になろうとしてる」ってことは「すでにある程度は幸せである可能性が高い」ってことじゃないかと思えてきた。そう考えると、幸せって大したことないんだな。そうか、俺ある程度は幸せなんだな。

 

でもなんか癪だな。

認めたくない、そんなに幸せじゃないはず。

目標設定が高いのかな。

高すぎる目標を前に苦しみたいのか。

 

それで、どうしたらもっと幸せになれるだろうか。

今のままで十分だと思ったり、自分は不幸になりたいからなるんだ、ではなくて。

できればもっともっと幸せになりたいじゃないか。

 

といっても俺の言う幸せって世間的には大したことないのか。

一番それっぽいと思ってるのは、結婚して子供を作って次の世代に謎のバトンを繋ぐことだ。別に俺に限って子孫を残す必要なんか全くないんだけど、本能的にか、なんとなく永遠を感じるからか、それが幸せな状態な気がする。そうなったことないからわかんないけどな。

子孫を残せないタイプの性的マイノリティの人とかオカマの人とか、どんな風に考えているんだろう。気になる。

 

あとはちょっと裕福な暮らしがしたい、とかか。欲しいものが(あんまりないけれど、)ある程度は買えるような。あとはたまに小旅行(隣の県とか)ができたり。

 

欲求ないな。

ほぼないじゃん。

どうなってほしいとか、もっとないのか。

 

仕事が楽で生きてられればそれでいいのかもしれない。

そうなったらそうなったでイヤなこととか思い付くんだろうな。

逃げ場ないな。

 

 どうなっても不幸探しはするとしたら救いようないな。

 

参った。

死のう。

 

自動車を追いかけるランニング

そんな時期が僕にはあった。人生でも最もアホな時期の一つだったと思う。きっかけは「キャプテンアメリカシビルウォー」という映画の中で行われる超人たちの鬼ごっこである。彼らは自動車と混ざりながらダッシュでおいかけっこをしていて「下手したらこれ車よりも速いんちゃうか?」という速度を出していた。影響を受けやすい僕はもちろん真似ることにした。車を走って追いかける。でも別に直接真後ろを追うわけではない、端から見たら普通のランニングマンだ。全力疾走であった。そこが環七だったからだ。普通にスタミナが無くなった。信号で毎回止まってくれないと追いかけ続けるのは無理だった。追いかけられる可能性のある車といえば、バス停の間隔が短いバスだ。やつらは定期的に止まるし、速度をあげたりしない。とはいえ、2駅も走る前に死にそうになるんだが。人間は車に追い付けないんだなって思った。そんな今に知ったことではないことを身をもって知ることができた。しょっぱいな。

 

今日はなかなかいいことを書こうと思っていたんだけど、明日にしよう。

ゴールデンウィークを終えて

ゴールデンウィークがもうそろ終わる。

 

長かったし短かった。

色々学んだこともあるし、変わらないことも変わったこともある。一番印象的なのは「実家に居ても退屈」ということかな。

 

ゴールデンウィーク前は今の仕事やめて実家に逃げてしまおうとか少し考えていた。でも実家に帰ってみたら様々な「ここには居たくない」があった。

 

「退屈」

「ローカルなしがらみ」

「両親との生活」

この三つである。

 

退屈は言わずもがなであった。ただでさえ友人もおらず、家はすっからかん。しかも、知ってる人がいないはずなのに外で出会う人は大抵両親の知り合いだったりする。田舎特有の世間の狭さがとても窮屈に感じる。

家→退屈。外→退屈、窮屈。

家では両親と生活するだろうが、何かと命令しようとしてくることが多く、とにかく面倒くさい存在だ。結果家も窮屈。

どこも窮屈&退屈なのだった。

 

その点今住んでいるところは、友人こそいないものの田舎のしがらみはないから外に出やすい。一人暮らしだし。知ってる土地よりは知らない土地の方がうろうろしがいがある。東京に遠いのがちょっと難点だってくらい。(東京には多少友人がいる。)本当は東京住めたらそれに越したことはないな~。

 

歯列矯正や貯金や住みたい所や実家の居たくなさを考慮すると、あと2年は今の仕事続けなければならない。長い。

 

 

実家に居たくないこと以外に学んだことは、「俺だけがネガティブ」ってこと。

みんな未来に希望持ったり、何か楽しみを持ったりしてて、自分の生活から逃げようとかそんなに考えてない。環境の差じゃなくてきっと考え方の差が大きいと思う。一体みんなどこでそんなタフさを身に付けてきたんだろう。実際の体力の無さも関係するかもしれない。

 

打つの疲れたのでこの辺にしておく。

 

地元に友達がいない。

今日も何となく文章を書いていく。

タイトルはタイトル通りなんだけど、寂しいことだね。地元に戻ってきても特に用事がない。こっちでは生まれてから15年ほど生きていた。しかしその間、少数の友人はいたもののそれ以降も長続きするほどの友情は育まれなかったらしい。というのも、精神年齢が低すぎて周りと価値観が合わなかったという説が濃厚だ。今でこそ自我意識が少しはっきりとしてきたが、中学生ぐらいまでは親の言うことだけを聞き、恐怖のみに操られて行動する人間になっていた。恐怖がなければ行動しない人間は、ストレスを物凄く溜めやすく、幼児退行スキルも抜群に高めているのである。小学校に入学する前にストレス性の頻尿になるくらいには、ストレスと仲良くしていたのだった。

 

話の方向が愚痴になっていきそうなので戻す。何が言いたかったかというと物凄く暇だということだ。ニンテンドースイッチは定価で手に入れたいけれど売っていないし、ラインを誰かに送りたいわけでもない。

 

そうだ、思い出したけれど。ここ最近もっとも考えていることは、物事を楽しめないということだ。どんな人と居ようがなんだか"心ここにあらず"という感じで、身が入っていない。ゲームやら読書やら一人でやれることでも熱中したり没頭したりしない。(熱中と没頭って同じ?)一体どうしてしまったっていうんだ。鬱なんだろうか。だったとして、だったらどうなるんだろう。薬でなんとかなるのか。よくわからないけど逃げたい。

 

何もかもよくわからなくなってしまった時、どうするのが正解なんだろう。とりあえず立ち止まっていたずらに時間を浪費する、それでいいんだろうか。そうやって何かが見つかるだろうか。あてもなく何かを待つなんてダメなんじゃないか。待ってても地球の生命が消滅するほどの隕石が来るだろうか。くどいな。

 

なんかこう、自分が自分じゃなくなっていくような感覚がある。大きな歪みを抱えて生きてきて、今までもこれからも、ただひたすらに歪んでいく感じだ。もう逃げられない。凶悪犯罪とかはする気配がないが、末路はどうなるかわからん。普通の核家族形成ルートはないのか。

 

あぁもう!